日本語教育・日本語そして日本についても考えてみたい(その2)

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サンティアゴ巡礼「銀の道」(Camino de Santiago de la Plata)2019 : El 9 y el 10 de agosto 「日本人だけど何か」(Soy japonés)

サンティアゴ巡礼「銀の道」(Camino de Santiago de la Plata)2019 : El 9 y el 10 de agosto 「日本人だけど何か」(Soy japonés)


巡礼13日目(el 13.er día)は

Alcuéscar − Valdesalor (25.7 km) 。

14日目(el 14º. día)は

Valdesalor −

Casar de Cáceres (22,8 km) 。


Valdesalor のバルに入ると、すぐに「チノ」(chino)という声が聞こえた。

「日本人だよ」(Soy japonés)と言いながらバルの客らしい地元のおじさんたちと談笑に入った。

こうしたタイプのおじさんたちの扱い方は慣れている。率直に、明るく話し掛ける。


「まったく、日本人と中国人の区別もできないんだからしょうがないね。そもそも学校で日本のことなんか学んで来なかっただろう? 」

と、ひと説教。ひと目で彼らが人の良いスペインのおじさんたちだと分かったので、率直に話題を膨らませた。彼らは自分たちに率直に言ってくれる相手に寧ろ信頼を置き親しみを覚えるのだ。


国際間のいざこざは、無知、無関心、偏見から生じるのだから、こうした相手無知や偏見への訂正は率直に遠慮無く求めることが重要である。しかし、最後はあくまでも、明るく、オチを付けてやるのが大切。


「相撲取り(luchador de sumo) は見かけはあんたみたいだけど、彼らも日本人だからね。つまりアジア人を見ただけで、すぐに、中国人だ、とはしゃぐのは勉強不足だと言うことさ」


こう言って彼らの日本に対する無知ぶりを誂(からか)うと、彼らのうちの一人が「Sumoは中国人だろう?」と言ったものだから、他のおじさんたちも苦笑い。そこで私が「もっと勉強せい!」とダメ押しして、一同大笑いで終わった。


Chino は中国人を意味するが、同時にアジア人への誂(からか)いの意味が込められることもある。

ともあれ、こうした率直な意見を言われることは彼らにとって嫌なことではなく、相手に信頼を抱くことが多い。


私とおじさんたちとの会話を側でニコニコと聞いていたバルのマスターは、実はこの町のアルベルゲの管理人で、すっかり私を信用した彼は、パスポートの提示も求めないで、アルベルゲの鍵をポンと渡してくれたのであった。

因みに、この町のアルベルゲも私以外の宿泊者は居なく、独り占め、だった。


写真(la foto)は、Casar de Cáceres 到着間近のところで撮ってもらった一枚。

スペイン南部の真夏の陽射し対策で、帽子、サングラス、長袖、襟立て、そして大事そうに抱えているのが2リットル入りの水。

私の心身は日に日に過酷な夏巡礼に慣れて来たようだ。

(Un sombrero, gafas de sol, mangas largas, cuello alto y, lo más importante, 2 litros de agua)

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