日本語教育・日本語そして日本についても考えてみたい(その2)

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バルセロナから(2018年1月21日) : 日本語観察「4敗は(よんはい)?(よんぱい)?」


バルセロナから(2018年1月21日) : 日本語観察「4敗は(よんはい)?(よんぱい)?」


ウィークデーの昼に毎日放送している情報バラエティ番組?で今なにかと世間の耳目を集めている大相撲について話していた。
 横綱の一角である稀勢の里が5日目で4敗して休場することになった件についての話題。
まず実況の映像とテロップが流れ、女性ナレーターが「4敗」を「よんはい」と読んだ。ホー、と私は注目した。この手の番組にしては珍しく正確な発音で読んだからである。と思ったのも束の間。
ボードを前にした男性の局アナが今度はその「4敗」を(よんぱい)と読んで説明し始めた。その後に続いて発言したMCは最初に(よんはい)と発音し、その話の続きで次には(よんぱい)と発音が変わった。コメンテーターたちも(よんはい)と(よんぱい)を混ぜながら番組は最後までどちらとも付かず終いだった。
 「4敗」を(よんはい)と読むか(よんぱい)と読むかの問題について、かつて私は徹底的に調べたことがあった。
この問題を解く鍵は、「3敗」を(さんはい)と読む人がいないのに何故「4敗」を(よんはい)と読む人と(よんぱい)と読むがいるのか、という点である。H音で始まる他の助数詞「分」「本」「版」「犯」「班」「泊」「拍」「杯」「品」「編」なども同様である。
 「3敗」の「3」の読み方は漢語の影響を強く受けた「イチ、ニ、 サン、シ、…」の「サン」であるが、一方の「4敗」の「4」は和語「ひー、ふー、みー、よー、…」の「よー」から来た「よん」である。
つまり今日では「よん」と表記するが元を正せば口を閉じないで終わる「よー」なのである。「サン」と「よん」は同じNで終わっているように見えて、「よん」のほうのNは和語の「よー」の伸ばす音、つまり口をきつく閉じない音が支配している。
これは「本」で考えると明確になる。「3本」を「さんほん」
と読む大人の日本人はいないし「4本」を「よんぼん」と間違う人もいない。
3百(さんびゃく)と4百(よんひゃく)についても間違う人はいない。
ただ、子供も日常的に使う時間の「4分」については、「3(さん)ぷん」の「ん」にひかれて「4(よん)ぷん」と発音する人が多いが、これも上記の検証から言って「よんふん」が適切だということがわかる。
 言葉は時代と共に変わって行く運命だが、無知や不注意から来る変化には変わるべく必然性がない。必然性のない母語の無闇な変化は、それをアイデンティティ(自己存在証明)の拠り所とする母語話者の自我の深い所に不安を与えることになる。日本の国語教育でこういう基本的な日本語の自律性を教えていないのは、日本人の自我、自立性の涵養過程において重大な欠陥があると言わざるを得ない。
 写真は、久し振りに訪れたグエル公園の東屋。ガウディ作のこのファンタジーは鬼才画家ダリに「まるでタルト菓子のような家」と言わしめた。


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