日本語教育・日本語そして日本についても考えてみたい(その2)

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バルセロナから(2018年1月22日) : 1990年「南米ひとり旅」アルゼンチン、世界最南端の町ウスアイアで想う(1)命拾いしたピザ

バルセロナから(2018年1月22日) : 1990年「南米ひとり旅」アルゼンチン、世界最南端の町ウスアイアで想う(1)命拾いしたピザ



リオ・デ・ジャネイロでカーニバル観覧席の切符を運良く手に入れた後、まず、ブエノス・アイレスへ飛んだ。リオのカーニバル当日まで一か月近くあったので、その間にアルゼンチンとチリを廻っておくことにした。


  ブエノス・アイレスではアルゼンチン国内の航空周遊券を買っておいた。


 南へ、南の果てへ……とにかく世界最南端の町だと言うウスアイアまでは行ってみよう、と決めていた。


 ウスアイアへ飛ぶ前夜は宿で南米の特大ゴキブリを二匹叩き潰してから床に入り、案の定、夢見が悪かった。翌朝、激しい雨音で目を覚ましたときは、五時を過ぎたばかりだった。空港行きのバス停まで、カナダのナイアガラの滝で使ったカッパを着込んで、土砂降りの中、まだ明け切らない暗い道を歩いて行った。今朝の夢の続きのようだった。


  この日、一月二十七日、ブエノス・アイレスの空港から飛び、リオ・ガジェゴスを経てマゼラン海峡を越え、昼過ぎにフエゴ島のウスアイアに着いた。こちらでは真夏だが、小雨が吹きつけ、さすがに寒かった。ここから南極大陸までは、ほんの一跨ぎなのだ。ボリビアで買ったアルパカのセーターをリュックの底から引っ張り出した。


  目を上げると、雪を頂いた山々が悠然と私を見下ろしていた。見る間に頭上の雲が吹き払われ、青空が広がっていった。抜けるような青の色に浸りながら、町への道をゆっくりと歩いて行った。


  インフォメーションで紹介してもらった民宿にリュックを置き、町を散歩してみた。サン・マルティン通りだけには観光客向けに店が並んでいたが、やはり地の果ての町らしく、閑散としていた。


  宿に戻る前に小さなパン屋に寄り、ピザを注文した。売り子の一人がそれを持ち帰り用に包んで私に渡したとき、もう一人の売り子が何かお喋りでも始めようとしたのか、秤(はかり)の上に手を置き、それにもたれ掛かるようにこちらの方に顔を向けた。


その一瞬あと、秤の下のガラスケースが割れて、それは見事なほど粉々にパンやピザの上に飛び散った。私のピザ以外はすべての商品がガラスの破片にまみれてしまった。


  宿への帰途、命拾いしたピザを抱きながら、今見たばかりのガラスの雨の中を歩いているような気がした。今回はピザだったが、こういう事は私のこれまでの旅の中で度々あった。



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