日本語教育・日本語そして日本についても考えてみたい(その2)

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バルセロナから(2018年11月1、2日) : なぜ「そんなバカなこと《×が》ない」と言えないのか?「は」VS「が」の本質

#スペイン #バルセロナ #日本語 #「は」VS「が」 #逆さサグラダ・ファミリア


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バルセロナから(2018年11月1、2日) : なぜ「そんなバカなこと《×が》ない」と言えないのか?「は」VS「が」の本質


次の文は、どうして「が」がダメで「は」OKなのか、考えてみる。


A そんなバカなこと《が》ない ×


B そんなバカなこと《は》ない ◯


日本語の助詞「が」と「は」の使い分けは、日本語母語者は無意識にやっているが、日本語を母語としない日本語学習者にとっては、悩みの種である。


日本語母語者にしても、「が」と「は」の違いは、と訊かれたら、即座に納得いく説明ができる人は少ないだろう。日本の学校教育では教えられて来なかったからである。


ここでは、そうした非日本語母語者の立場に立って、この問題の本質を探ってみよう。


上に提示した文例を分析する前に、「が」と「は」の根本的な性格の違いを確認したい。


まず、次の文例で考えてみる。


A・私《は》田中です。


B・私《が》田中です。


文例A「私《は》田中です」では、話し手が伝えたい最も重要なことは「私」でなく「田中」である。


つまり、この場合の《は》は、《は》の後に来る述部「田中です」に聞き手の意識を引きつけ注目させる働きがあるのだ。


この文は「(あなたは)佐藤さんですか?」と聞かれ、それを打ち消す形で「(いいえ、)私は田中です」と主張する場面が想定できる。


このように助詞《は》は「述部を強く意識させる役割」を持っている助詞である。


A「私《は》田中です」の表現では、「私は」と言った段階で、聞き手は次に続く述部に来る内容に期待し注意を喚起される。


ちなみに、単なる自己紹介の場面では、自分を強く前に押し出す意図を感じさせる「私は」をあえて言わないのが日本人的挨拶であろう。


一方、

B「私《が》田中です」では、伝えたい最も重要なことは「田中」ではなく「私」である。

つまり、この場合の《が》は、《が》の前の主部「私」に聞き手の意識を引きつけ注目させる働きがある。


この文は、「田中さんはどの方ですか」と聞かれ「私が(その)田中です」と自分を指差して名乗る場面が想定できる。これはまた単に「私です」と答えることもできる。


B「私《が》田中です」は「田中さんはどの方ですか」への返答と想定できる。

この文を《は》を使った文にすると、

「田中《は》私です」

となる。すなわち「私」と「田中」の位置が入れ替わって逆になるのである。


次回は、初めに掲げた、

なぜ「そんなバカなこと《×が》ない」と言えないのか、

という疑問を解くために、もう一歩進めてみよう。


写真は、「逆さ」サグラダ・ファミリア。ガウディ広場の池に映った常緑樹がサグラダの水面の姿を絡み包むように重なる。

秋の高い空がそれを上下から見つめている。奇跡のような光景だ。

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