日本語教育・日本語そして日本についても考えてみたい(その2)

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バルセロナから(2018年10月30、31日) : 日本語が曖昧な言語とは誰が言ったのか?

#スペイン #バルセロナ #日本語 #言語 #ハローウィン


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バルセロナから(2018年10月30、31日) : 日本語が曖昧な言語とは誰が言ったのか?


ときに仮定法に入れられる「と」の性格は、次に示すような「過去の客観的叙述」に、より典型的に現れている。 ・窓を開ける《と》、外は雪だった。


これは、条件Aのもとで「継起」(引き続き起こる)する事実Bの叙述、ということだ。 「と」は本質的には、この「継起」の働きを持つものだ。じつは、この性格が仮定のように見えるだけなのさ。 (イフ君とカテイ君の対話を終えて)


さて、日本語の「if」、すなわち「仮定法」は、元を正せば「ば」形のひとつであることや、その「ば」形のバリエーションである「たら」「なら」形や異分野から参入した「と」形との違いも、ざっとだが、確認してきた。


「東京に行け《ば》、電話して下さい」が非文になる事情をちょっと覗いてみたら、思いがけず、日本語の「律儀(りちぎ)さ」に出会い、こちらも、この魅力的な言語「日本語」に自然と会釈を返してしまう。


日本語が曖昧(あいまい)な言語だと言うのは見当違いの話である。


世界でも使用者数の多い英語やスペイン語と比べても、まことに「律儀」(義理がたく実直なこと)で微妙な意味合いが使い分けられる言語だということが、仮定法ひとつ取ってみても分かる。


写真は、バルセロナのハローウィンパーティ。

毎年の恒例で今年も学生たちの扮装とお喋りを愉しんだ。

日本の幽霊も登場 ! 今や異国にも呼ばれる、お化け界のスターだ。

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