日本語教育・日本語そして日本についても考えてみたい(その2)

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バルセロナから(2018年11月3、4日) : 助詞「は」と「が」の本質的性格の相違を観る

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バルセロナから(2018年11月3、4日) : 助詞「は」と「が」の本質的性格の相違を観る


前回述べたように、2つの助詞「は」と「が」は性格が根本的に違うことが想像できるだろう。


助詞の種類で言っても「は」は「述部」に係っていく性格の係(かかり)助詞だが、「が」は「主部」との関係を示す格助詞である。


すなわち、

(1)格助詞「が」はその前に置かれている「主部」に注目させ、係助詞「は」はその後に置かれている「述部」に注目させる。


という違いをまず押さえておく。 (1)のような「は」と「が」の性格の違いから、

「は」は旧情報を表し「が」は新情報を表す、などの視点が出て来るが、これは(1)でまとめられた本質的性格の違いから派生した視点に過ぎなく、表面上そうした傾向が強い、という説である。


すなわち、物語等に登場人物を紹介する場合などで、「昔々ある男《が》いた。」のように、まず新しい情報である「ある男」を《が》で受け、次に「その男《は》若かった」のように、すでに読者にとって既知となったその登場人物を《は》で受けて説明する、というパターンの場合、特出する現象である。


つまり、主語を紹介的に特立させるときは「が」で受け、その属性や動作を説明するときは「は」で受ける形にするパターンである。


しかしながら、この新情報・旧情報の「が」「は」の性格を他の場合に当てはめることには無理が出てくるのである。


むしろ、この例では「ある男《が》いた」の文での《が》は、その前の主語「ある男」に注目させ、「その男《は》若かった」の《は》は後の述部「若かった」に注目させる、と解釈したほうが《が》《は》の性格の違いを本質的に説明できるのである。


旧情報を受けるはずの「は」を物語の初めの文で使っている小説は、探せばいくらでもあることを思い起こせば、本質がどこにあるかはすぐに分かるはずである。


次回は、「は」「が」の性格の相違の点で、今日確認した以外にも重要な点があることを確認したい。


写真は、日本とイベリア半島の文化交流の集まり「仲間」 (NAKAMA - asociación para el fomento del intercambio cultural iberojaponés)の新メンバーと共に。

約30年の歴史のある集まりだが、発足初期のメンバーが来てくれて、感慨深い日になった。

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