バルセロナから(2018年8月1、2日) : ふじ山との対話で日本を想う
バルセロナから(2018年8月1、2日) : ふじ山との対話で日本を想う
行く川のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。
出日本を叶えて早30数年。みそぢの年月は夢のごとし。
卅年のうちに日本は変わったか。この一世代の間、故国に起きた想定外の天変地異。大自然の猛威は容赦無かった。
多くの犠牲者を出し、日本人は改めて自らの人生観を見つめざるを得なかった。
ここ一世代の間に一度ならず何度も襲いかかって来た大自然の脅威に日本人は何を想ったのだろうか。
時代錯誤な縦社会と滑稽な拝金主義。そこから派生する歪みが日本社会に大きなストレスとなって来た。
いま、スポーツ界を震撼させているパワハラ、異常な忖度が日本社会の膿を垣間見させる。
出日本の際、静岡から富士山に見送られた。
今夏、日本を訪れたときはまず富士に挨拶に行った。あいにく台風が日本を吹き抜けていたが、富士が頭を覗かせる幸運な瞬間があった。
何やら叫びながら夢中で撮った一枚である。