日本語教育・日本語そして日本についても考えてみたい(その2)

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バルセロナから(2018年1月31日<その2>)日本語のエッセンス: 「10分」の発音は「ジュップン」?「ジップン」?

(*小説を投稿し始めたら面白くて仕方がない。同時に、日本語についても投稿したいことが山ほどある。執筆意欲が旺盛な今を逃さずに投稿できる時にどんどん投稿していきたいと思う。小説にも他の投稿にも短い感想等を頂けたら励みになります。宜しくお願いします。)


バルセロナから(2018年1月31日<その2>)日本語のエッセンス: 「10分」の発音は「ジュップン」?「ジップン」?


時間を表す「十分」あるいは「10分」の読みがじつは「じゅっぷん」ではない、と言われたら、たいていの日本人の大人は「なにを言っているんだ、ジュップンで間違いないだろ」と問題にもしないかもしれない。日本語についてプロであるはずの国語教師や日本語教師でさえ、そう思っている人が少なくないようだ。


日本人は、小学校1年生で習う漢字の一つとして「十」を習い、「じっぽん」「じっさい」という形で「十」を含む言葉を習得する。
 小学1年の国語教科書では「とお・じゅう・じっ」が教えられている。


したがって「十ぷん」「十ぽん」「十さい」は「じっぷん」「じっぽん」「じっさい」と読み、「十」の読み方はすべて「じっ」と書いて正解となっているのが実情のようである。


 実際、子供の勉強を見てやっている親は、「えっ、ジュッでないの?」と戸惑っているらしい。


なぜ「じっ」と読むかは歴史的な理由があって、それは下に述べるとおりだが、大人になって小学1年生で習ったことを忘れ、その後その誤りを修正する機会がなく(常に「10」か「十」で、ひらがなで「じっ」と書いてあるものを見ることがない)、大人の大多数(たぶん日本語教師の大部分も)が「じゅっ」と誤読している事実を無視することはできないだろう。


NHKのアナウンサー部では「ジュッ」も許容されている。小学校の教科書もその方向へ動きつつあるようだ


 さて、なぜ「十」は「じっ」と読むのか、を確認しよう。


 「十」の字音「じゅう」は歴史的仮名遣いでは「じふ」と表記する。この「ふ」がつくのは「入声(にっしょう)」と言われるものの一つである。


 入声は、後ろに来る子音によっては促音(「っ」)になる働きを言う。漢字音の場合、入声音にk・s・t・h(f)が後接するときに促音化が生じる。


 合戦(かふ+せん→かっせん)、早速(さふ+そく→さっそく)、そして、入声(にふ+しょう→にっしょう)


などが挙げられる。こうして「十」(ジフ)も、「十分」では、「ジフ+プン」の「ジフ」が「ジッ」にとなった。


つまり、「十分」「十本」「十回」は「じっぷん」「じっぽん」「じっかい」のように読むことになる。「十手」「十戒」も「じって」「じっかい」である。


 今日ひろく誤読されている「ジュップン」という発音(促音化)は、「十」のもう一つの音読み「ジュウ」の類推によるものだろう。


しかし、「執筆(しっぴつ)」「執行(しっこう)」などの「執」の漢字を思い出して欲しい。


 「執念」(しゅうねん)で「しゅう」と読むからといって「執筆」や「執行」が「しゅっぴつ」「しゅっこう」とはならないのと同様に、「十分」も「じゅっぷん」とはならず「じっぷん」になる、ということである。


 日本語に関する著書がベストセラーになるなど、現代日本人は日本語の遣(つか)い方に大いに興味を示す。にも関わらず、日本語が日本の教育現場でほとんど教えられていないことに、無頓着である。つまり、自分は日本人で自分の母語は日本語だ、というだけで、「日本語なんか教わらなくても知っている」と思い込んでいる。


 日本人の誤読が長い間続き、広く一般に浸透してしまうと、その誤読が正当の地位を占めることも少なくない。たとえば、
 「病膏肓に入る」(やまい こうこうに いる)の「膏肓」(こうこう)が「こうもう」と読まれ、
 「独擅場」(どくせんじょう)が「どくだんじょう」と読まれる例などがある。


 間違った言葉遣いを指摘されると、「言葉は生き物で時代とともに変わる」のようにしたり顔で言う人がいるが、それは「間違いと知った上」で尚且つ「変わるべき合理性」が勝る場合にのみ言っていいことである。


 私は長年、日本の国語教育に携わってきたが、日本の学校現場、すなわち国語教育の現場では日本語はほとんど教えられていない、と言っていいだろう。それどころか日本語は日本における公用語とも定められていない。


 「十分」「10分」の読みの問題を中心に、日本人の日本語観についても考えてみたが、ともかく、実質的な日本の共通語である「日本語」を学校現場で体系的にしっかり教えるシステムが急務であると感じられてならない。


 外国人に日本語を教える日本語教育と日本人生徒を対象の国語教育の両方に携わってきた経験から、もう一度、言っておこう。
"日本人に日本語教育を!"

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