日本語教育・日本語そして日本についても考えてみたい(その2)

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バルセロナから(2017年12月19日) : 1989年のメキシコでドン・キホーテに出逢う

バルセロナから(2017年12月19日) : 1989年のメキシコでドン・キホーテに出逢う


メキシコは独特である。その顔かたちの古代性、その食べ物の強烈性、その貧富の差の激しさ。メキシコはどこにも似ていない。マドリードで覚えてきたスペイン語はメキシコではたびたび直される。


メキシコ自治大学から紹介された私の当分の寝床は、セントロ、市の中心から離れた閑静な住宅地にあった。石畳が敷き詰められているこの一帯は、ときおり犬が吠えるぐらいで、昼でも深閑としている。お屋敷のような住宅に連綿と続く大仰な高塀は、メキシコの貧富の差を象徴している。この地域を一歩出れば、素足で走り回っている子供たちにさえ出会う。
 私の部屋は、このコローニャの一角を占める邸宅の一室である。年齢不詳の女主人、お手伝いとその娘、屋根裏の小部屋にいる下働きのキューバ人、それに部屋を借りているメキシコとフランスの女性二人と新人の私、これがこの邸宅の住人ということになる。
とにかく広い屋敷である。ある日、いつもより少し遅く帰って自分の部屋に入ってみると、椅子が二脚ともない。そう言えば、手洗いに出入りする人が何人かいるので客が来ているのだろう、と思った。
そのうち、部屋の前の廊下が人声でいっぱいになった。廊下でパーティを開いているらしい。宴の終わった後で女主人に訊いてみると、客は八十人は来ていたと言う。ホームパーティに八十人はいくら何でも多すぎる。しかし、とにかく信じられないほどの人数が階下の大広間にいたことは確かだ。
その大広間は、ちらっと覗いたことはあるが、中に入ったことはない。そこはきらめくばかりの装飾品が置かれた別世界であった。
 一体この女主人は何者なのだろうか。屋敷の中、いたる所に若き日の彼女を描いた絵や彫像が飾られている。
 門の錠を開け、植え込みの間のなだらかな石段を下っていくと、地階の入り口がある。そこから出入りするように、女主人は私に言った。
 私に宛(あて)がわれた部屋は二階に当たるのだろう。年季の入った木製の階段にもカーペットが敷かれ、夜中に帰ってきても他の住人の耳を煩わす心配はない。
ある夜、かなり遅く帰ってきた私は、真っ暗な邸内の灯りの消えた階段を手摺りを頼りに上っていった。灯りのスイッチの在り場所を探ったが見つからなかった。
 少しずつ目が慣れてきて、最後の階段を段を上り切ったとき、私の部屋までの僅かな距離の廊下が更に暗い層になっているのを見た。壁伝いに手探りで歩いているうちに、一瞬、空(くう)を掴み、その手は棒のようなものに触った。たちまち、遠慮のない乾いた音が暗闇の中で響き渡った。
 目を凝らすと、闇の中でドン・キホーテが拳を握っていた。廊下の飾り棚に高さ五十センチほどの木製のドン・キホーテが置かれていて、その拳に握られていた槍に私の指が触れて、廊下に落としてしまったのだ。
サンチョ・パンサを引き連れ、痩せ馬ロシナンテに跨ったその男は、空の拳を握ったまま憮然としていた。私は足元に転がっていた槍を拾い上げ、その男の拳に差し込んでやった。
 翌朝、私はその男が逆さに槍を握って、尚も憮然とした顔をしているのを見た。この屋敷の屋根裏の部屋に住む下働きのキューバ人はこの像を指差し、
 「君はメキシコのドン・キホーテだね」と私に片目をつぶってみせて言った。
 何の手づるもなく、単身で、かくも遠隔の地に来た日本人に呆れたのである。
 私の日本での教師仲間にドンちゃんと呼ばれる先輩がいた。若い時は相当思い切った言動があったらしく、ドン・キホーテから名付けられたと言う。五十を超えてからは大分枯れてきて、生徒を叱った後などは、持病の心臓を押さえていた。
そのドンちゃんが、私の送別会の日、少し早めに会場に来ていた私を呼び止め、
 「思い切ったなあ。スペインだなんて…」しみじみと夢見るように言った。
 私は長年勤めてきた高校教師に区切りを付け、二つ目の人生を探しにマドリードに行くことを決めたのだ。
その頃、スペインは日本ではまだ得体の知れない辺境の地のイメージしか無かった。全くただ自分の人生観から決めたことなので、私の突然のスペイン行きは同僚たちにとっては理解に苦しむことだったに違いない。
スペインからここメキシコに来た東洋のドン・キホーテは、しかし、まるでだらしがない。自分だけは大丈夫だと思っていたメキシコ名物の下痢に見舞われたのだ。ここの強烈な下痢は、メキシコ訪問者の避けられない洗礼らしい。
これに対抗できる強烈な薬、ロモティルを飲みつつ、屋敷のその広さ八畳はあるトイレの隅にぽつんと備えてあった便器に、一日に何度もお世話になったものである。
 写真はソカロ広場に面したメトロポリタン·カテドラル。スペイン統治時代に建てられたラテンアメリカ最大の宗教建築である。羨ましいのは、こうした歴史を持ちながらスペインとメキシコが成熟した関係をつくりあげていることである。日本とアジア諸国とのギクシャクした関係とつい比べてしまった。

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