日本語教育・日本語そして日本についても考えてみたい(その2)

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バルセロナから(2018年11月7、8日) : 「そんなバカなこと(が/は)ない」を考える

#スペイン #バルセロナ #日本語 #助詞ハとガ #言語交換(intercambio de idiomas)


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バルセロナから(2018年11月7、8日) : 「そんなバカなこと(が/は)ない」を考える


さて、以上数回に渡って述べてきた、「は」と「が」の基本的な性格の違い、を頭に入れながら、この問題の最初の回で提示した文例を改めて見てみよう。


A そんなバカなこと「が」ない ×


B そんなバカなこと「は」ない O


上の文例A では、「そんなバカなこと《が》ない」の《が》は主格を示しているので、「そんなバカなこと」(主部)が「ない」(述部)という客観的な事実の「現象」を述べただけの表現である。


「ない」のは何かと言うと「そんなバカなこと」である、という意味になる。しかし、単に「ない」ものは何か、という文であれば、「それ(バカなこと)《が》ない」と表現するのが自然な日本語である。

言わば、「お金《が》ない」と同じ構文である。


ところが「そんなバカなこと」の「そんな」には、話し手の主観「判断」が入っていて、「主格」を示す《が》を使った「客観的な状態を述べる文」には、似合わないのだ。


ちなみに、「しかた《が》ない」という表現がある。

「仕方(しかた)」すなわち「やり方」「する方法」がない、という客観的状態を述べる表現であるから、《が》の代わりに《は》を使って、「しかた《は》ない」(それを「する方法」について言えば、私の主観からすると「ない」と思う)という表現にはならないのである。


一方、

B 「そんなバカなこと《は》ない」の《は》は、話し手の言いたいこと、すなわち文の「テーマ」を示しているので、「そんなこと《については》(どうなのかと言うと)と「述部」に注目させ、「ない 」という「話し手の判断」が入れられる構文になっていて、座りの良い、自然な文になるのである。


写真は、今日の言語交換(intercambio de idiomas)の集まりで。参加者の出身はスペインと日本だけでなく、イタリア、フランス、中国、etc.と国際色豊かである。本当の世界がこうであったらなあ。

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