日本語教育・日本語そして日本についても考えてみたい(その2)

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バルセロナから(2018年1月24日) : 1990年「南米ひとり旅」ノリエガ将軍逮捕(1) 南米一人旅は五体満足で帰れない? <写真: ヘリから見たイグアスの滝>

バルセロナから(2018年1月24日) : 1990年「南米ひとり旅」ノリエガ将軍逮捕(1) 南米一人旅は五体満足で帰れない? <写真: ヘリから見たイグアスの滝>



ブエノス・アイレスからリマ空港に着いたのは、夜中の二時過ぎだった。


 三か月前にここリマから始めた南米の旅も、いよいよあとはメキシコに戻るだけとなった。さっそく、メキシコへの復路航空券を持ってインフォメーションに行ってみた。もっと早い便があったら換えようと、ふと思いついたからである。



 メキシコを出発する際、「中南米の一人旅は五体満足では帰れないよ」という餞別の言葉を貰い、私も、この旅は無事では済まないかも知れない、と心していた。一瞬の判断力が生死をも分ける…これがそれまでの旅で得た私の教訓である。そして、その判断の拠り所は、理屈ではなく直観である。直観を最優先させること、これを貫き通して、ともかくここまで五体満足で辿り着いたのである。



「あなたの持っている航空券のパナマ航空事務所はノリエガ問題で閉鎖されています」インフォメーション嬢は、私の顔を覗き込んで気の毒そうに言った。



 パナマのノリエガ将軍がアメリカ合衆国によって逮捕されたというニュースは、私もブラジルで耳にしていた。日本での報道は知る由も無かったが、中南米の人々の反米感情は根強いものがある。ただでさえ政情の不安定な中南米は、これからどう動いて行くのだろうか。



 私は、コロンビアのノーベル文学賞作家ガルシア・マルケスが「北アメリカ人(彼らはアメリカ合衆国人をこう呼ぶ)は僭越である。アメリカとは彼らの国を指す語ではないのだ」とアメリカ合衆国の大国意識を皮肉った言葉を思い出していた。



ともあれ、空港のアエロ・パナマのオフィスが開くまで待たなければならない。私は、空港ロビーのソファで眠るともなく、新聞に目を通すともなく、それからの七時間余りを潰さなければならなかった。



午前十時過ぎ、ようやくオフィスが開いた。なんとか誤魔化して私の航空券を無効にしようとする担当者の態度は、私を苛々させた。今回の南米の旅ですっかり身につけた方法を採った。すなわち、奥でふんぞり返っていた責任者を出させ、一歩も引かない姿勢で交渉した。とうとう私の航空券はアエロ・ペルーの便へ変更可能となった。私は責任者に変更承諾の一筆を書かせ、それを持ってミラフローレス地区にあるアエロ・パナマのペルー本部オフィスに変更手続きに向かった。当然のことだが、そこまでのタクシー代の支払いはアエロ・パナマ本部で出す、という確認も運転手と共にしておいた。



タクシーは殺伐としたリマの乾いた街を突っ走り、ミラフローレス地区のオフィスに着いた。私は持って来たメモを女事務員に渡し、航空券の変更とここまでのタクシー代の件を説明した。女事務員は無表情に航空券の書き直しをした。しかし、「タクシー代は払えない」と木で鼻を括ったように言った。



「何なら、このメモの人物に電話をして確かめてくれ。彼は確かにそう約束したんだ」私の言葉に、そばでハラハラしながら見守っていた気弱そうな運転手も、何度も小さく頷(うなず)いた。女事務員は奥の部屋に入ったまま、しばらく戻って来なかった。



私は何気なく椅子をドアの方へ向けて座り直した。小さなオフィスで、ドアと私との間は二メートルとなかった。そのドアを半ば体で開けるようにして、警備員が銃を構えて立っていた。引き金に指を掛けており、いつでも撃てる態勢だ。銃口は下に向けてはいるが、ほんの少し持ち上げれば、私の右足の親指に照準がぴたりと合うだろう。私は視線を警備員の顔に移した。あのノリエガ将軍にどことなく似ていると思った。(続く)

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