日本語教育・日本語そして日本についても考えてみたい(その2)

本ブログ(その1)は ☛ http://urgell.blog62.fc2.com/ をご覧下さい。

バルセロナから(2017年12月25日) : 「東西ヨーロッパの旅」は「ああ、勘違い」からの旅立ち <写真:クレオパトラも通った?トルコのエフェソス遺跡>

バルセロナから(2017年12月25日) : 「東西ヨーロッパの旅」は「ああ、勘違い」からの旅立ち <写真:クレオパトラも通った?トルコのエフェソス遺跡>



1988年の末にスペインからメキシコに居を移した目的の一つは「南米ひとり旅」であった。メキシコ国立自治大学でのスペイン語コースと翻訳コースえを修了後、その「南米の旅」の足慣らしに「東西ヨーロッパ」と「北米」を廻ることを決めた。まず「東西ヨーロッパの旅」に出る。せっかくアメリカ大陸に来たのに又ヨーロッパ大陸に戻るという形になったが、当時の私には筋は通っていた。


1989年の6月、メキシコシティからスペインのマドリードへ飛び、そこからスイスのジュネーブまで長距離バスで行って「東西ヨーロッパの旅」が始まる、その予定だった。 ところが、実は、最初に大きな誤算があった。


  予定では、スイスのジュネーブから東西ヨーロッパを廻り、最後にまたジュネーブに寄ってマドリードに戻るつもりだった。


ところが、スペインのマドリードからスイスのジュネーブへ向かうはずの長距離バスが、なんと、イタリアのジェノバに着いてしまったのである。


マドリードで長距離バスの切符を受け取ったとき、何となく嫌な予感が頭をよぎり、切符売り場のセニョリータに確認してはいたのである。受け取った切符を見ると、 「GENOVA」 と書いてあった。 それで、私は乗車券売り場の女性に


「行くのはジュネーブだよ。ジェノバじゃないよ」 と確認した。が、彼女は自信たっぷりに「間違いない」と答えたものである。


 後で調べてみると、 イタリアの「ジェノバ」のイタリア語のつづりは「GENOVA」 で、スイスの「ジュネーブ」の英語つづり「GENEVA」 とは「O」と「E」の一文字しか違わない。一文字の違いで国を違えたのかもしれない。因みに、ジュネーブの公用語であるフランス語の「ジュネーブ」は「GENÈVE」で、英語の「ジェノバ」は「GENOA」である。


  こうして私のヨーロッパ一周ひとり旅は、計画通りとはいかず、最初の訪問国がスイスからイタリアになってしまったのである。 だが、こうしたハプニングこそ一人旅の醍醐味でもある。最初から実にワクワクした旅立ちとなったわけである。


 写真はトルコ、アナトリア地方のエフェソス遺跡。クレオパトラもこの道を通った、という。

×

非ログインユーザーとして返信する