バルセロナから(2018年1月23日) : 1990年「南米ひとり旅」アルゼンチン、世界最南端の町ウスアイアで想う(2)そして私はこうして生きている
バルセロナから(2018年1月23日) : 1990年「南米ひとり旅」アルゼンチン、世界最南端の町ウスアイアで想う(2)そして私はこうして生きている
アルゼンチン、ウスアイアで買ったピザは「命拾い」したが、私自身もこれまで何度か旅先で命拾いしている。
メキシコの地下鉄を降りようとしたときの事だった。
私と入れ違いに地下鉄に乗ろうとした人の担いでいたザックの鉤(かぎ)ホックが私のベルト通しに引っ掛かり、車両の昇降口を挟んで互いに引っ張り合う形になった。今にもドアが閉まり、発車しようとしていた。
そのとき、乗客の一人が大声で運転席へ合図し、閉まりかけていたドアに割って入り、私のベルト通しに絡んでいた鉤ホックを外してくれた。すべて一瞬の事だった。私は命を救われたのである。その名も知れぬ異国の人に。
瞬時にこういう行動のできる、真に驚嘆すべき人物が、やがて何事もなかったように地下鉄を降り、また慎(つつ)ましい淡々とした生活に戻っていくのだろう。
自分で知らないうちに危険に遭い、気づかぬうちに命を拾われていた、というようなことは、恐らくこれまでの私の半生の中で度々あったのだろう。
生かされている、という思いを抱かずに、どうしていられようか。
米カリフォルニア州で大きな地震があった時、私はアメリカ合衆国とカナダをバスだけで一か月ちょっとかけて廻って見て、メキシコに戻った直後だった。
また、ブラジルのイグアスの滝で渡る予定でいた橋が私が着く数日前に壊れ、数人が滝壺に呑(の)まれた、という事も耳にした。そのほか、後で思えば冷や汗が出る事が少なくなかった。
単に運が良いだけなのか、旅の中で磨いてきた直観力が無意識のうちに最良の選択をしてきたお蔭なのか。いずれにしても、私はこうして生きながらえている。
ウスアイアで買ったこのピザはガラスの雨から運良く免れた。
私は宿に戻り、しみったれの女主人に温め代としてガス代を払って、その命拾いしたピザを温め、断食明けの坊主のように、それを口に押し込んだ。