日本語教育・日本語そして日本についても考えてみたい(その2)

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再びの欧州ひとり旅(13日目。2017 年7月13日):夕べの月が逡巡して残る朝ぼらけのカッパドキアに着き昇る朝日に照らされた奇岩群の風景にまたも感嘆の声を挙げる

再びの欧州ひとり旅(13日目。2017 年7月13日):夕べの月が逡巡して残る朝ぼらけのカッパドキアに着き昇る朝日に照らされた奇岩群の風景にまたも感嘆の声を挙げる



ギリシャからフェリーでエーゲ海を渡りトルコの小島を経てトルコ本土に上陸し更にイズミールに移動。そこからカッパドキア行きだと言う小型バスに乗った。


まだ暗いうちから乗ったバスは東の空の方から明るくなってきたところで「ここがカッパドキアだよ。ほら見てごらん」と朝ぼらけの空を運転手が指差す。その指の指す先を見ると、大量の気球が光に照らし出され始めた雲の間に間に浮かんでいる光景があった。


私がバスから降ろされたのはまだ早朝の5時半頃だった。バスが去ってから暫く気球の浮かぶ空に向かって歩いて行ったが、どうもその場所に近づいているとは思えない。これはカッパドキア観光の入口までかなりの距離があるな、と気づいた。しょうがない、とタクシーが走って来ないかと待ってみたが一向に来ない。


せめてカッパドキアの観光客の入り口は近いのかどうかだけでも聞こうと思い、親指を立ててトラックを止めようと試みたが止まってくれる気配すらない。何台かやり過ごされたあと、1台の乗用車が止まってくれた。運が良いことに、運転していた人はカッパドキアの地区に住んでいる人だった。「乗っていいよ」彼は快く私を乗せてくれた。観光入り口近くらしい場所まで行くと、私を降ろしてくれた。私は感謝の言葉を述べたが、彼はそんなことは何でもない、という顔で「ではカッパドキアを楽しんで」と言い残して奇岩の屹立する間へ車を走らせて消えて行った。


つくづく私の運の良さを想う。困った、さてどうするか、というときは必ずと言っていいほど、私の窮地を救ってくれる人が現れる。しかも、どの人もいつもカッコイイ。自分の善意の行為を、なんということもない、という顔をして私のもとを去っていくのである。無償の善意の行為をさりげなく、見返りを求めるような素振りさえも見せない。私をとんでもないところに降ろしたバス会社のいい加減さは気になったが、それよりも素晴らしい人にまた出逢えた幸せをしみじみと感じていた。


こうしてトルコ、カッパドキア観光入り口に到着した私は早朝から開いていた地元の旅行代理店で数時間で楽しめるツアーに参加した。朝方のカッパドキア。朝日が昇り夕べの月がまだ逡巡して残る。


奇岩の屹立している地帯を一望できる展望の場所からこの驚くべき風景を望んだ。29年前、この風景が私の世界観に大きな影響を与えた。今日はこの風景をゆっくりと愉しんだ。


ツアーが終わり、開いていたカフェに入った。トルキッシュコーヒーが美味かった。
このあとは北へ。イスタンブールへ移動だ。

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