バルセロナから(2018年3月18日<その2>) : チーノ地区の「花売り娘」の像
バルセロナから(2018年3月18日<その2>) : チーノ地区の「花売り娘」の像
ランブラス通りの西側の地区は中国人が多く住んでいたことから「チーノ地区」と呼ばれている。現在は実際に歩いてみると、寧ろパキスタン系の人々が目立つ。
ランブラス通りを挟んで東側の中世ヨーロッパの面影を残したゴシック地区と対象的にアジア的な雑然とした活気が感じられる。
そのチーノ地区をバルセロナ港側から少し歩くと「花売り娘」のブロンズ像の建つ水飲み場に出逢う。
庶民的なバル、レストランが並ぶバルセロナの下町であるチーノ地区に彼女はよく似合っている。
彼女たちは東ヨーロッパのルーマニアからスペインに入り、主にアンダルシア地方に流れて来た人たちが中心だ。
従来ジプシー ( エジプトから来たと思われて名付けられた ) と呼ばれていた人たちだ。
現在、国際的にはロマと呼ばれるようだが、ロマとはインドのロマニ系の人たちが今のルーマニアに住み着きそこから「流浪の民」となった人々のことを言う。
ルーマニア語はスペイン語と同じロマンス語系だからスペインに生活の場を求めたロマが多いのは頷ける。
スペインでは「ジプシーの日」などを制定し、彼らの独自の文化を保護している。フラメンコ好きな日本人にとっては彼らの文化こそスペインのイメージになっているようだ。