バルセロナから(2017年10月25日) : 日本人とは何かと考えながらボケリア広場の水飲み場に佇む
バルセロナから(2017年10月25日) : 日本人とは何かと考えながらボケリア広場の水飲み場に佇む
先日は今回の衆院総選挙における都知事への魔女狩りを煽る日本のマスコミの未熟性について触れたが、今日の散歩では一方の煽られる大衆について考えていた。日本人とは何だろうか、というテーマは思考が趣味の私にとって思春期から抱いていた興味深い題材である。
このテーマについての現在の私の到達点は「個の不在」という日本人の特性であった。
こうして、いつものように、心に浮かぶよしなしごとをなぞりながら散策していると、いつの間にかボケリア市場前、ランブラス通りを挟んだ誠に小さなボケリア広場に着いていた。
ふと目を遣ると杖をついたイスラム風の服装をした男性が水飲み場の縁に腰を掛けていた。水飲み場のレリーフの中心はバルセロナの盾を鎧(よろい)のようにした人物がライオンを踏みつけているイメージだ。
これはギリシャ神話最強の英雄ヘラクレスをシンボリックに表したもの。その下にはライオンのたてがみに縁取られた3人の人間の顔のレリーフが見える。それらの顔の間に蛇口がある。その雫は歴史の中で何人もの歩き疲れた旅人や市民の喉を潤して来たのだろう。