日本語教育・日本語そして日本についても考えてみたい(その2)

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バルセロナから(2017年10月23日) : サグラダ・ファミリアを掌に載せながら日本のジャーナリズムを想う

バルセロナから(2017年10月23日) : サグラダ・ファミリアを掌に載せながら日本のジャーナリズムを想う



日本の報道はこれでいいのかなあ。


大山鳴動した日本の衆院総選挙も終わってみれば、現政権の安定という選択に落ち着いた感がある。この総選挙関連の報道を見ていて、日本の報道の在り方にやはり首を傾げた。やはり、と言うのは、日本のジャーナリズムの現状に疑問や忠告を示す声を以前から聞くからである。


都知事が新党を起ち上げ国政に参戦したが、マスコミの彼女への一斉ネガティブキャンペーンとも受け取れるもので人格攻撃にまで及ぶこともあり、時には耳を疑うような醜いものもあった。こうした報道番組やバラエティ番組からは、風向きを見て「魔女狩り」に走る大衆の集団心理を煽る日本のマスコミの未熟性を感じざるを得なかった。


 国境なき記者団が発表した2016年度版「世界報道自由ランキング」によると日本の「報道の自由度」は180国中72位である。この結果に違和感を持つ日本人が多いと言うが、長い間、外から日本を見つめてきた私には、この報告に、さもありなん、と思えるのである。日本の場合は、権力側からの直接的圧力というよりもマスコミ側の権力側体制側への忖度、斟酌、自主規制等が、攻撃しやすい対象への人格攻撃などの歪んだ報道を産むのではないだろうか。
今回の総選挙報道を通じて、そんな感慨を抱いた。


さて、今日の散歩も、いつの間にか、サグラダ・ファミリアの真ん前まで来ていた。完成へ向けて中央の塔や聖母マリアの塔の建設が急ピッチだ。手のひらに載せて観た。

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