日本語教育・日本語そして日本についても考えてみたい(その2)

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再びの欧州ひとり旅(32日目最終日。2017年8月1日) : ボローニャからミラノに戻り1ヶ月に及ぶ欧州の旅を終えバルセロに帰るに際して、改めて旅中に浮かんだ「人間力」について想う


(*写真は機内から見るバルセロナの夜景)


再びの欧州ひとり旅(32日目最終日。2017年8月1日) : ボローニャからミラノに戻り1ヶ月に及ぶ欧州の旅を終えバルセロに帰るに際して、改めて旅中に浮かんだ「人間力」について想う



中世の趣を色濃く残したアーケードと石道の街ボローニャからバスで北へ。ミラノに入るのは今回の旅で3度目。このイタリア随一の商売の地で数時間の滞在を経てこの旅の収めとする。



ドウム近くのレストランで小腹を黙らせる。トマトベースのスープに厚いパンを浸して十分に馴染んだところで徐ろに口へ運ぶ。商売上手なこの街では数時間の滞在でも金に羽が生える。



ゆったりとミラノの街を散策したあと、21:00にミラノ空港を発ち22:30にバルセロナに着地する。1時間半の空の旅はアッと言う間である。そろそろかな、と小窓から翼越しに暗闇を見下ろすと宝石箱をひっくり返したようなバルセロナの夜景がすぐそこに迫っていた。そこから機長のバルセロナの気候アナウンスの後、いよいよ着陸の瞬間を迎える。振動もなく本機のスムーズなバルセロナの大地へのキスに、乗客の間から小さな拍手が聞こえ、自然と全体に拍手が沸き起こる。日本ではすでにもう見られなくなった光景である。30年前にスペインに降り立った時からこのスペイン人の愛すべき習慣は変わらない。私も、ああ、スペイン、バルセロナに帰って来たんだな、とホッと息をつく。



 今回の1ヶ月に及ぶ「再びの欧州ひとり旅」での収穫は小さくない。私の中で大きい充足感と何か肩の荷を下ろしたような安堵感が生まれている。



さて、今回の旅の実質的最終日ということで、私の旅中の「思考メモ」のなかから。 以前この旅レポの中で触れた「人間力」について述べてみたい。



 私は「人間力」を大きく「問題解決力」と「人品」の総合力と捉える。


 旅で意識して心掛けていることがある。それは常に紳士たれ、ということである。思い浮かべるのはチャップリンがその映画の中で品位を持って靴紐を食べるシーン。どんな状況であれ人品、つまり人間としての品格をもってことに当たる姿勢である。人品を保つのは意識を持てばできる。


 一方の問題解決力は日頃の積み重ねによって培われるものである。


この両者を備えた、つまり「人間力」を感じた人物の典型として私の記憶に残る名も知らぬ人がいる。


それはメキシコ市滞在中のこと。


そのとき私は満員の地下鉄から人を掻き分け降車しようとしていた。あっと思った。同時に乗り込んで来た人のリュックのホックが私の背負っていたリュックのどこかに引っ掛かり絡まってしまったのだ。私の体はすでに半分車外に出ていて相手の体は完全に車内に入っていた。私は閉まろうとするドアに挟まれそうになりながらも既に勢いで必死に降りようとしていた。


このまま宙吊りで地下鉄の車両に引き摺られてしまう。頭の何処かでそう思った瞬間、そばにいた見知らぬ乗客の人が私の肩口に引っ掛かっているホックを懸命に外そうとしていた。ほんの数秒のあと、ふっと体が軽くなり、私の体は車両の外の地面に降り立った。振り返ると、ホックを外してくれたあの乗客の人は何事もなかったかのようにこちらに目を向けていた。そして、地下鉄は扉を閉じてすぐ発車して行った。


 私はあの見知らぬ紳士に命を救われた、私はそう思った。すでに見えなくなった車両の方をしばらく見つめていた私は、ああ、こういう人がいるんだな、と我に返った。


とっさの機転で見知らぬ人の命を救い、何事も無かったように又日常の生活に帰って行く。見返りを求めたり義理を感じさせたりする人格ではこうしたとっさの無償の行為はできない。私の命を救った直後のあの紳士の、何事も無かったような表情を思い出していた。「人間力」とはこういうものなのかも知れない。さて、私にできるか、、、


今回の欧州の旅でも幾度か「人間力」溢れる人物に出逢ったが、今でも「人間力」を備えた具体的で典型的な人物と言えば、あのメキシコ市地下鉄の紳士を思い出す。ああいう畏怖すべき名も無き人々が世界のどこかで今日もまた何事も無かったように暮らしている。そう思うと、この世界も捨てたものじゃない、と頬が自然と緩む。

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