日本語教育・日本語そして日本についても考えてみたい(その2)

本ブログ(その1)は ☛ http://urgell.blog62.fc2.com/ をご覧下さい。

再びの欧州ひとり旅(15日目。2017 年7月15日):トルコから北上し旧社会主義国ブルガリアに入り、なぜか、旅人の「人間力」について考える

再びの欧州ひとり旅(15日目。2017 年7月15日):トルコから北上し旧社会主義国ブルガリアに入り、なぜか、旅人の「人間力」について考える



トルコ、イスタンブールから北上し、ブルガリアのソフィアに到着。29年前に訪れた社会主義国時代とは違った自由な雰囲気になった。あの当時は憲兵?に呼び止められないか、と思いながらカメラを向けたものだが。


だが、自由の道は険し。自由主義国としての成熟には程遠い現実が横たわっていた。これからヨーロッパの自由主義国として成熟していく道のりは険しく、問題は山積だろう。


いろいろな事を考えざるを得ない旧社会主義国ブルガリアで頭に浮かび想ったことがある。ちょっと「旅」と「人間力」についての思考をメモしてみた。


 もちろん旅は愉しむためにするものだが、旅で得るものも大きい。
 第一は、その人が何たる者であるか見え:てくることである。
旅で出逢う人だけでなく今まで見知った人も含めて、ああ、あの人はこういう人だったか、つまり「人間力」がじつに明白に透けて見えてくるのである。
とりわけ「ひとり旅」は思考や感性が研ぎ澄まされた自分と対話する時間に大半の時間が費やされる。
 世の中で最も怖いものは誰にとっても「自分自身」である。
その自身と真正面から向き合うのが怖いことも、人が群れることへ向かわせる要因なのか。
この「人間力」は人種、身分や社会的な地位などの肩書とは無関係である。せっかく得た「肩書」等も見知らぬ土地で見知らぬ人と出逢った際に見えて来る「人間力」には何も役に立たない。


さて、こうした経験を得ようとして旅に出るなら、自分自身の人間力が問われることは覚悟の上、が前提になる。


この「旧社会主義国の再訪」は、自国の姿に想いを馳せ人間の在り方を省み、なぜか、こんなことを考えさせられる旅である。

×

非ログインユーザーとして返信する