日本語教育・日本語そして日本についても考えてみたい(その2)

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バルセロナから(2018年10月20、21日) : 動詞「焼く」に日本人の贖罪意識を観る

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バルセロナから(2018年10月20、21日) : 動詞「焼く」に日本人の贖罪意識を観る


「焼く」を例にして、「欠損」の意味を持つグループの動詞がどのような変遷を経て今日の型になったか、見てみよう。


古語「焼く」は、四段活用で他動詞、下二段活用で自動詞の機能をそれぞれ受け持った。やがて四段活用は五段活用「焼く」に、下二段活用は下一段活用「焼ける」となった。


日本語の動詞の活用は、まず四段活用から誕生したとされる。そうすると、「焼く」という他動詞が自動詞より先んじて誕生したことになる。


日本では古来、物事の生起は、人間の行為よりも神々の意思や自然の摂理によって起こるものと信じられてきた。


したがって、動詞においても、まず、自ずから動く「自動詞」として誕生するのが常である。この点が日本語の「自動詞・他動詞の関係」の特徴であろう。


英文法ではまずTransitive verb(他動詞)があって、それをもとにIntransitive verb(自動詞)という用語が存在する。


しかし、この「欠損」の意味を帯びた「焼く」の型の動詞は「他動詞」から誕生したことになる。これは、どういうことだろうか。


「続く」「開(あ)く」のような一般的な動詞は、人間を超えた力、すなわち神が司(つかさど)る「自然」によって起こされるものと見なされ、まず四段活用の「自動詞」として誕生した。


一方、古来「欠損」という現象は神々の意思や自然の摂理がなすものではなく、人間の行為によって為されるものと考えられたのではなかろうか。


日本の先人たちは、神々がこの世界を完全なものとして創造したにも関わらず、人間の行為によってそれらの創造物が欠け損じると考えた。


そして、これらの「欠損」動詞に人間の行為による自然への「欠損」を象徴させ、まず四段活用の「他動詞」として誕生させた……


ここには日本人が抱いて来た「自然への欠損」への贖罪意識が偲ばれる。


こうして日本語が誕生した頃の、日本列島に居たの先人たちの「人間を超えたものへの畏怖」に思いを致せば、たかが「動詞」の有り様が、なんとも神秘的、神々しささえも帯びてくるではないか。


写真は、バルセロナの歴史を描いたタイル画。

ランブラス通りから旧市街へ抜ける小径の入口にある水飲み場に描かれている。

中世のバルセロナの市民の様子が活き活きと描かれていて、思わず見入ってしまう。

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