日本語教育・日本語そして日本についても考えてみたい(その2)

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バルセロナから(2018年9月26、27日) : 自然を畏怖する日本人の感性を示す助詞「が」

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バルセロナから(2018年9月26、27日) : 自然を畏怖する日本人の感性を示す助詞「が」


古来、日本人は動作・作用・状態の主体を明確にすることよりも、その動作・作用・状態を自然的な生起として把握することに関心があったようだ。


日本語を母語とする人々の、人為的なものよりも自然の営みから生起するものを畏敬・畏怖する傾向は、「所有格のガ」が役割分化して「主体を指し示すガ」として使われるよ うになってからも基本的には変わらずに来た。


今日の表現で考えても、「好きだ」と言えば「気に入ったものに向かってひたすら心が走る状態」を示すのだが、そういう状態になった感情主に「主体を指し示すガ」はつかない。感情主をそういう状態にさせた、自然の営みからの「生起主」に、「が」がつくのである。


「私は彼女が好きだ」の文においては、感情を「好きだ」という状態にさせる「生起主」は「彼女」であるから「彼女」に「主体を指し示すガ」が付いているのだが、感情主は「私」ということになる。


こうした日本語固有の発想を無視して国語教育や日本語教育が、日本語とは全く性格を異にする英文法を土台とした発想をそのまま当て嵌めようとするのには当然無理がある。


国語教育も日本語教育も日本語自体に大いなる疑問を突き付けられていることに早く気付かねばならないだろう。


写真は、言語交換の集まりで。日本人が必ずやるピースサインをやってみた。

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