日本語教育・日本語そして日本についても考えてみたい(その2)

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バルセロナから(2018年9月22、23日) : 【だ】と【です】の言い分に耳を傾ける

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バルセロナから(2018年9月22、23日) : 【だ】と【です】の言い分に耳を傾ける


日本語の長い歴史から観れば、つい最近まで「おいしい」の丁寧形は「おいしゅうございます」であった。ところが、これに取って代わって、「おいしい」に【です】を加えただけの「おいしい【です】」が瞬く間に広まった。


この辺の事情について考えてみよう。 「おいしい【だ】」は共通語では非文とされる。ところが、この助動詞【だ】の丁寧形【です】を用いた「おいしい【です】」は今日では普通に使われている。


ここには一体どんな仕掛けが隠されているのだろうか。


ここで、この断定の助動詞【だ】と【です】の言い分を聞いてみよう。


【だ】の言い分:俺が形容詞の後に直接付けないことは、文法的には分からないことはない。だが差別はいかん。【です】、お前が認められていることがなぜ俺には認められないのか、合点が行かない。


【です】の言い分:まあ、そう言うなよ。俺だってお前を出し抜いていいカッコしようと思ったわけではないんだ。国語審議会で認められるまでは、俺だって「幼稚な表現だ」「間違った使い方だ」と言われて、肩身の狭い思いをしたものだ。


【だ】が自分の不遇を嘆いているのは、次の点である。


形容詞、例えば「おいしい」には、共通日本語では【だ】は付かない。すなわち「おいしい【だ】」は認められていない。


だが、【だ】の丁寧形である【です】は、「おいしい【です】」のように、現在ふつうに使われている。同じ断定の助動詞が形容詞に丁寧形で付くのは認められていて、普通形では認められないのは納得いかない、と言うのだ。


次回は日本語の形容詞の特異性について触れて、このテーマの本質を考えてみたい。


写真は、スペインのサツマ芋とも言える「ボニアート」(Boniato)を素揚げしてニンニクを添え、塩を振っただけのものだが、思わず「美味しゅうございました」と納得する一品。

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