バルセロナから(2018年9月18、19日) : あるマラソンランナーの遺書
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バルセロナから(2018年9月18、19日) : あるマラソンランナーの遺書
2度目の東京オリンピックがすぐ前まで迫って来た。最初の東京オリンピックのエピソードとして後に自殺したマラソンの円谷選手のことを想い起こす人もいるだろう。それと同時に「おいしゅうございました」という表現が思い浮かぶ人もいるかもしれない。
「おいしい」の丁寧形は「おいしゅうございます」だった。だった、というのは、現在は「おいしいです」という言い方が普通になっているからだ。
むろん、他の形容詞も同じ運命を辿っている。とは言っても「おいしゅうございます」という言い方がまったく消えたわけではない。現在では滅多に耳にしなくなったが、品のある表現として使われる場面がないわけではない。
少し前まではそれほど珍しい表現ではなかった。次の例のように家族に対しても使われていた。
1964年に開催された東京オリンピックで銅メダルを獲得し、次のメキシコオリンピックでは金メダルを期待されていたマラソンランナーの円谷幸吉さんが家族に当てて残した遺書の中に、印象的に繰り返される表現が「美味しゅうございました」(原文は「美味しうございました」)である。
10月にメキシコオリンピックが開催される年、1968年の1月に「幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません」と書き、円谷さんがカミソリで頚動脈を切って自殺した際残したものである。27歳という若さだった。
次回は「おいしいです」と「おいしゅうございます」の違いに潜む、日本語の特異な性格を考えてみたい。
写真は円谷選手の遺書。薄い赤茶色に広がった染みに何か生々しさを感じる。