日本語教育・日本語そして日本についても考えてみたい(その2)

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バルセロナから(2018年9月8、9日) : 日本語の自律性への敬意

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バルセロナから(2018年9月8、9日) : 日本語の自律性への敬意


第二次大戦後のアメリカは占領政策の一環として「教育使節団」を日本に派遣し、教育改革のために漢字使用の全廃やローマ字などの表音文字専用への移行を勧告した。


こうした混沌騒然とした空気の中、昭和21年4月、雑誌『改造』に志賀直哉は 「国語問題」というタイトルでこの国語フランス語化の文章を発表したのである。


この志賀の論に対して国語学者、大野晋も『日本語練習帳』(1999年)で、次のように失望感をあらわにする。


《志賀直哉は、言語を、スウィッチによって、右に切り換えれば日本語、左に切り換えればフランス語というように、切り換えのきく装置だとも見ているようです。》

《志賀直哉には「世界」もなく、「社会」もなく、「文明」もありはしなかった。》


志賀の案は言語学からも国語学からも痛烈な反論を受けて、その実現は陽の目を見なかったのだが、こうした論はモグラたたきのモグラのように時代時代の節目に頭をもたげてくるようだ。


時代は変わる。だが文化や言語の自律性を無視すれば、我々人間は手酷いしっぺ返しを喰らう。日本語と日本人の関係も例外ではない。


写真は、 Naomi Osaka(大坂なおみ)。2018 US Open Women's Singles Championである。おめでとう!

日本語のインタビューでも、昨今の日本人のように「すごい嬉しい」ではなく「すごく嬉しい」と的確な日本語。彼女の日本語は聞いていて心地良い。言語に対する敬意が感じられるからだ。

これから日本人が彼女から学ぶことは想像以上のものになるだろう。

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