日本語教育・日本語そして日本についても考えてみたい(その2)

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バルセロナから(2018年9月4、5日) : 志賀直哉「国語フランス語化論」を読んでみる

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バルセロナから(2018年9月4、5日) : 志賀直哉「国語フランス語化論」を読んでみる


さて、次に志賀直哉の「国語フランス語化論」について考える。


第二次大戦後、勝者であるアメリカ合衆国が日本の占領政策の一環として、教育改革と称して漢字使用の全廃、ローマ字などの表音文字専用への移行を勧告した。


日本国民が自信喪失状態の中、漢字仮名交じり文という日本語に外から掛かっていた圧力に加え、日本人自ら自国語を手放そうとする論がまたも登場してきた。


志賀直哉が昭和21年4月、雑誌『改造』に「国語問題」というタイトルで“国語フランス語化論”を発表したのである。 『志賀直哉全集』第七巻の「國語問題」を掻い摘んで言うと、志賀は持論を次のように展開する。


<日本の将来で一番大きな問題は国語問題である。日本の国語は、これほど不完全で不便なものはないし、文化の進展もこの国語によって大変阻害されている。この問題の解決なくして、文化国家としての日本の将来はないといっても過言ではない。>


<具体的な指摘は出来ないが、日本語の不完全さ・不便さは作家として痛感して来た。

仮名書きやローマ字書きの運動も成果を上げないのは、致命的な欠陥があるのだろう。>


<六十年前、森有礼が国語の英語化を唱えた。それが実現していたら、日本の文化も遥かに進んでいたろうし、この戦争も避けられたであろう。学業ももっと進み、学校生活もずっと楽しく、成果も遥かに上がったろう。英語を自然に使いこなし、日本特有の語彙をもでき、万葉集も源氏物語も英語により多くの人に読まれていたであろう。

六十年前に、英語を採用していたら、利益が無数にあったろう。>


<そこで、私は世界で一番いい言語、一番美しい言語、フランス語を国語に採用する英断をするべきだと思う。森有礼の案を今こそ実現するほうが、国語の不徹底な改革より間違いのないことである。彼の時代では不可能であったろうが、今なら実現可能である。過去に執着せず、我我の利害を超越して子孫の為に英断をすべきだ。>


<外国語のことはよく知らないが、フランスは文化先進国でもあり、小説や韻文でも日本と共通のものがあると云われる。それにフランス語は文人によって整備された言葉であるとのことで最適と思う。国語の切換えは、教員の養成が出来た時に小学校一年から順次行なえばよい。>


一読して志賀の日本語観が見て取れる。要するに、日本語は「これほど不完全で不便なものはない」ということらしい。だがその根拠は、一向に示されないまま「致命的な欠陥があるのだろう」と推定する。


言語について少しでも知っている者なら、一定の文化を背景に産まれた如何なる言語も総体としては過不足なく自己完結している、ということを知っているはずだが、残念ながら志賀の日本語観は根拠のない歪んだ偏見に過ぎないことが、この引用部分だけ見ても窺い知れる。


志賀の日本語観についてはもう少し触れてみたい。


写真は、バルセロナ散歩道に最近見つけたウォールアート。ジブリのアニメに出て来そう。

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