日本語教育・日本語そして日本についても考えてみたい(その2)

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バルセロナから(2018年8月23、24日) : 日本人の「自我」を想う

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バルセロナから(2018年8月23、24日) : 日本人の「自我」を想う


日本のアマスポーツ界や教育界で噴出しているパワハラや異状な忖度による醜聞は、時代錯誤な「縦社会主義」と滑稽な「拝金主義」が手を結んだ日本社会の「仕組み」が背景となっているのだろうか。


その日本社会の「仕組み」に欠けているものは何だろうか。この疑問が私の思考する大きな動機になっている。


国際社会はいま大転換期に立たされている、と言っていい。米国大統領がトランプ氏になり、アジアでもヨーロッパでもますます内向きになって行くだろう。グローバリズムの反動である。


我々がグローバリズムと呼んでいたものが実はアメリカニズムだったことは、当の米国自身が一番よく分かっていた。アメリカ一国が世界に目配りをするのはもう疲れた、ということだ。


同時に、人間と国家の理想を追求しその実現に向けて辛抱強く歩み続けてきた欧州にもほころびが見え始めて来た。これから暫くは、自分の国をもう一度見つめ直し建て直す······国際社会はそういうサイクルに突入するだろう。


そうした時代に今の日本社会から見えるのは、明治維新を機に欧米社会から急遽取り入れた「自由と民主主義」のよそよそしさである。なぜよそよそしいか。

欧米先進国と言われた国々の人たちは、自由や民主主義という社会制度の根底に、個人一人ひとりの「主体性の成熟」「自我の自立」が醸成されて来た。


明治の文豪である森鴎外と夏目漱石らが果敢にこの問題に取り組んだが、鴎外は諦念に安寧を求め、漱石は刺し違いのような形で挑んだが道半ばで倒れた。言わば「個の自立」という日本人への宿題は、あそこで止まったままであるという事実。


これからの日本がこれにどう立ち向かうか。


さて、今日の言語文化交換の集まりではOrigamiで恐竜(Dinosaurio)を折ってみた。

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