日本語教育・日本語そして日本についても考えてみたい(その2)

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バルセロナから(2018年8月21、22日) : 教育界にも日本社会の歪みが

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バルセロナから(2018年8月21、22日) : 教育界にも日本社会の歪みが


日本に激震を起こしているアマスポーツ界のパワハラ、歪んだ忖度は同時に教育界をも呑み込んでいる。


某大学のアメフト部やチアリーダー部の指導者のお粗末さ、そして某医科大学入試での世界に恥ずべき男女差別。


むべなるかな、と思うのが祖国日本の体たらくなのだから、情けない。


これまで日本の4つの高校と海外の日本人学校の教壇に立って来た。


教育界でのパワハラ、歪んだ忖度、そこから生じるカネの不透明な動き、は私の教育現場経験からも、むべなるかな、いかにもそうであろうよ、と溜め息が出る。


教壇に上がった5校のうち、或る高校では、理事長でもある校長に意見を言える教職員がいなく、教頭以下、無力に追従する姿に強い衝撃を受けた。


感じやすい年頃の生徒たちに良い影響を与えるわけがない。


数年後の2015年4月初め、この茨城の高校の理事長兼校長が逮捕された醜聞を私はメキシコで知った。こういう人格が教育界に平然と居る。


そのメキシコの日本人学校の校長も人格的には同根であった。メキシコ在住だった私は日本人学校の国語と日本語を担当していたが、この時の校長は、とうとう2014年の3月に日本に帰された。


地元の父母はホッとしただろうが、所は替えても、また平然と教育界に戻れるというのが、実は日本の教育界の根深い問題なのである。問題は解決されずに繰り返される「仕組み」になっている。


これらの学校現場で共通していたのが、校長や教頭などの管理者側が職員室にさらに「管理する教員」のポジションを置き、職員室を「見張り合い」の職場にしていたことである。


職員室は自閉症的にパソコンに向かう教師たちの墓場を想わせた。


結果、足を引っ張られないように形だけ繕う「形式主義」と上におもねる「縦社会主義」が不幸な合体をする教育現場が出来上がることになる。


この延長線に権力欲と「カネ」の匂いが立ち籠めて来る。


日本からのアマスポーツや教育界の醜聞を聞く度に、行き場のない溜め息が又漏れる。


いま「日本という仕組み」の組み直しが迫られている。


今日はバルセロナ散歩の足を延ばしてカサ・バトリョ(Casa Batlló)を見上げる。おっと、ここにも”魔の手”か?

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