日本語教育・日本語そして日本についても考えてみたい(その2)

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バルセロナから(2018年8月7、8日) : 凛とした日本人

バルセロナから(2018年8月7、8日) : 凛とした日本人


元暦二年のころ、おほなゐふること侍りき。そのさまよのつねならず。山くづれて川を埋み、海かたぶきて陸をひたせり。土さけて水わきあがり、いはほわれて谷にまろび入り、なぎさこぐふねは浪にたゞよひ、道ゆく駒は足のたちどをまどはせり。


阪神淡路大震災から16年を経た2011年3月11日、東北地方の太平洋沖で地震が勃った。後に東日本大震災と呼ばれ、死者、行方不明者合わせて1万8千人を超えた文字通り日本を揺るがした「おほなゐ」(大地震)であった。

阪神淡路大震災と同様、このときも私は海外に居た。


その日の朝、私はメキシコシティで目覚めた。いつものようにパソコンのネットニュースを確認していた。


画面には目を疑うような大津波が街を覆い家や車がマッチ箱のように流されて行った。

私は「またどこかの国で大災害が起きているのか」と暗い気持ちで内容を確認した。


すると、なんと日本のことではないか。夢中で報道ニュースをネットで次々と読み漁っていった。

これは想像を絶した大変な災害、未曾有の事態を日本は迎えている、と直観するまでそれほど時間はかからなかった。

じつはこの数日前、メキシコで知り合った人と日本と日本人について話しているうち、「日本人は非常時、それも極限を超えた状況の中でこそ、その本領を発揮する」という話になっていった。


だが日本人のもう一つの特徴は、喉元過ぎれば熱さを忘れる、だった。16年前の阪神淡路大震災の教訓が眼前の津波に押し流される砂の如くだった。


メキシコでパソコンの画面で見た日本国のリーダーたる為政者たちは「想定外」を逃げ口上に醜いほど責任逃れに熱心だった。


この歴史的大地震に伴う福島第一原子力発電所事故による放射能災害は、日本の終末をも脳裏に浮かばせた。


だが、未だに今日の日本人は原子力発電所に囲まれて見えぬ恐怖と暮らし続けている。


この得も言われぬ無言の恐怖が大きなストレスとなって今日の日本社会に深い影となり歪みとなっていないとは誰が断言できるだろうか。


世界で唯一の被爆経験をし、未曾有の放射能危機に直面した日本人が、世界に胸を張れる画期的な声明と凛とした生き方を示すチャンスを、神はそう何度も与えてくれるわけではない。


写真は、日本の象徴たる富士山の麓にある大石寺の庭園前の橋にて。赤い欄干のカーブが印象的な橋の向こうは人智の及ばぬ世界か。

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