日本語教育・日本語そして日本についても考えてみたい(その2)

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バルセロナから(2018年7月28、29日) : 「砂の器」を再見する

バルセロナから(2018年7月28、29日) : 「砂の器」を再見する


昨日は録画サイトで偶然見つけた映画「砂の器」を観た。


日本映画の最高傑作とも言われるこの作品を最初に観たのは映画館の大スクリーンだったと思う。


ライ病患者の父と幼い息子が冬の荒々しい日本海を放浪する、あの息を呑むような美しい光景は大スクリーンでなければ目に焼き付くはずがない。


そのイメージの記憶だけで再び名作「砂の器」を観てみた。

画面は小さいが、観終わってやはり感嘆した。野村芳太郎監督作品である。


原作者の松本清張も触れていた「映像と音楽」の融合は、特に加藤剛演じる天才音楽家がピアノを弾きながら父と放浪した少年時代を回想するシーンに、映画の持つ魅力を遺憾なく発揮していた。


父親役の加藤嘉の鬼気迫る演技は勿論だが、脇を固める俳優たちの何と豪華なことか。


こんなところにこんな人が演じていたのか、と改めて気づいた。丹波哲郎は主役級だったが、ほんのワンシーンに渥美清、笠智衆などが出ていたのか。


天才音楽家の少年時代を演じた子役が印象的だったが、15歳で俳優を引退して今は自動車関係の会社を経営していると言う。


歴史に残る名作で注目された子役。その後の人生にどんなにプレッシャーになっただろうか。チャップリンの「キッド」の名子役を思い起こした。


それにしても、映画の中で演奏された天才音楽家作曲の「宿命」と彼の「砂の器」のような人生が見事に二重写しとなってフィナーレを迎える構成は何度観ても感嘆するだろう。


人の宿命と運命について思わざる得ない映画だった。


昨日のそんな余韻を抱きながら、今日も散歩の足を延ばしてグエル公園のタイル画のベンチに憩う。

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