日本語教育・日本語そして日本についても考えてみたい(その2)

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バルセロナから(2018年3月6日) : 「サグラダ・ファミリア異聞」(39)醜聞(スキャンダル)

バルセロナから(2018年3月6日) : 「サグラダ・ファミリア異聞」(39)醜聞(スキャンダル)


「あの“嬰児殺し”の像には、メッセージが込められている。つまり、サグラダ・ファミリア建設の初期に起きた忌まわしい事件の真相を暗示している」佐分利の眉間に皺がより、その細い目は一層細くなった。


「五十五年前、当時の地元の有力な司教がサグラダ・ファミリアのある石工の妻を身ごもらせ、生まれた嬰児を密かに殺してサグラダ建設敷地内に埋めた。その司教がバルセロナ大司教に抜擢されようとした際、教会内部でもその"醜聞"が持ち上がってきたんだ。妻を寝取られた石工の復讐、そして自分の大司教への選出を妨げかねないスキャンダルを恐れたその司教は、嬰児殺しの罪を石工に被せて口を封じようとした。つまり、自殺か事故に見せかけて石工を亡き者にした、ってことだ」


ここまで一気に喋って、佐分利は椅子から立ち上がり、私の後ろ側の窓際へ近づいて行った。相変わらず、用心深い男だ。窓の外に誰もいないことを確認したのだろう。


「そうか、その石工の孫娘が今回晒首(さらしくび)にされたアンヘラさんで、司教の子孫とペドロ、ラモンの双児兄弟が何らかの関係を持っている、という…」こう私が言うと、背後の窓際から佐分利の声が、囁くように聞こえてきた。

「そう。さすがだね」そして、私の左側に廻って、続けた。


「ペドロとラモンはまさに司教の孫だ。あの醜聞が教会関係者の間で噂に上り、石工がサグラダの塔から転落死した事件との疑惑も持たれたことが致命傷となって、司教は大司教の候補から外された。その後の司教一家は不運も重なり、子孫も辛酸を舐めるなどの末路が待っていた。


まあ、こんなわけで、司教の孫の代であるペドロとラモンまで、あの石工一家に対する逆恨みが続き、むしろその見当違いの恨みは増して来て、その結果が今回のような陰惨な事件につながった…」

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