日本語教育・日本語そして日本についても考えてみたい(その2)

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バルセロナから(2018年3月3日<その2>) : 「思ったトウリ/トオリ」?

バルセロナから(2018年3月3日<その2>) : 「思ったトウリ/トオリ」?


TV歌番組では歌詞をテロップで流すが、先日「ん?」と思った。「思った【とうり】に…」というテロップに気づいたからである。もちろんここは「思った【通り】に」だから平仮名表記では【とおり】である。調べてみると、この歌の場合は元々の詞が【とうり】とあるらしい。

日本のTVではバラエティ番組でも会話を文字起こししてテロップで流す。テロップ担当者が日本語のプロとは限らないから、こうした誤りはしばしば目にすることになる。

もっとも、日本語のプロ集団であるはずの日本語教育の本にもこうした間違いは見受けられるのだから、ましてや一般の日本語母語話者には珍しくない現象なのかもしれない。日本語表現を説明した日本語教育の本に「立ち【どうし】」とあったのである。


【通り(とおり・党利(とうり)】【氷(こおり)・高利(こうり)】【~通し(どおし)・~同士(どうし)】【多い(おおい)・王位(おうい)】【大(おお)・王 / 欧(おう)】

など、現代日本語では母音〔O〕に続くひらがな表記が〔お〕でも〔う〕でも、すなわちローマ字表記で「O音+お」「O音+う」とあっても、その発音はともに「オー」となる規則がある。


これは、かつて和語「O音+ほ/を」だったものが「O音+お」となり、漢語の長音のひらがな表記「O音+う」と結果的に同じ発音に落ち着いたためである。


こうした歴史的経過を尊重して(というよりは、むしろ、日本語表記の改革派と保守派の双方の顔を立てた結果、と言ったほうがいいかもしれない)、現代では、ともに「オー」と発音する「Oの長音」は、「O音+お」「O音+う」の二通りのひらがな表記に分かれたままである。


現在、この両表記の違いに鑑み、歴史的な経緯に思いを致している人が、果たしてどれほどいるだろうか、疑問である。


「待ち遠しい(まちどおしい)」「夜通し(よどおし)」を「待ちど【う】しい」「夜ど【う】し」と間違え、逆に「如何(どう)して」「隣り同士(どうし)」を「ど【お】して」「となりど【お】し」、「鬱陶(うっとう)しい」を「うっと【お】しい」と書き間違えているのを目にするのは、今日、もはや珍しくなくなった。学校の教科書にさえ、こうした間違いが見られる、という報告もある。

この問題はもう少し考えたい。

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