日本語教育・日本語そして日本についても考えてみたい(その2)

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バルセロナから(2018年3月2日) : 「サグラダ・ファミリア異聞」(35)黒紫色のヒルが耳穴に

バルセロナから(2018年3月2日) : 「サグラダ・ファミリア異聞」(35)黒紫色のヒルが耳穴に


「よく俺が分かったな」甲高い声でラミロが佐分利に言い放った。


「調べたよ。お前がペドロの双子の兄だということもね」佐分利は微動だにせずに言った。


彼の腕時計仕込みの懐中電灯の光の束はラミロの顎あたりまで下がっていた。光の束が当たる部分を再び上げてラミロの顔全体をくっきりと浮き彫りにした。ラミロの能面顔はさらに血の気を引いた、ひび割れた石膏像のように薄笑いが張り付いていた。


「それに、何よりもその右耳の色素がラミロだということだ」佐分利が光の束をラミロの右耳を照らし出した。その耳殻の下半分がインクをこぼしたように黒紫色の色素に染まっていた。


雲間に見え隠れする月明かりだけでは陰になっていたラミロの左の耳たぶ付近の色素が、佐分利の照らした光で浮き彫りになった。光が揺れたとき、黒光りしたヒルがその首筋から耳穴に入っていくように見えた。ラミロが幼い時の病気で左耳が黒紫色に変色していたことを佐分利は知っていたのだ。


ラミロは半身の構えのまま佐分利を見据えるようにしていた。沈黙が青白い頬に流れ、時折吹く生暖かい風に髪をなびかせていた。いつの間にか佐分利の腕時計から放つ光の束がラミロの体からずれてきているな、と私が何となく思ったとき、私の視界の上左隅で、尖塔の上に浮かぶ雲が月を覆い始めていた。


と、その瞬間、ラミロの身体が消えた。それと同時に佐分利の上半身が激しく反った。佐分利のすぐ後ろの壁がガシャと鈍い音を立てた。私はすぐに手裏剣だと思った。佐分利から「黒装束の男」に襲われた際の話を聞いていたからだ。佐分利は、態勢を立て直しながら右手をラミロが消えた暗闇に思い切り振り込んだ。礫(つぶて)だ。その暗闇から風の音に紛れて「ウッ」という呻き声が漏れた。


この尖塔付近ではいつの間にか小さな旋(つむじ)風が吹き、我々の立っている渡り橋でも足元で渦を巻き上げているように感じ始めていた。生暖かった風に幾条かの冷たい風が紛れ込んでいた。佐分利はなおも礫を矢継ぎ早に暗闇に放った。いつもながら、間近で見ていても人間業とは思えない早業だ。この間、ほんの数秒だった。


ラミロの消えた闇にすでに突入した佐分利に続いて私とマリアも続いた。隣の尖塔の中に入った我々はマリアのかざす懐中電灯を頼りに夢中で階段を駆け上って行った。少なくとも佐分利の投じた最初の礫は命中していたはずだ。佐分利が放った礫の威力は私が一番よく知っている。一発でも身体のどこかに命中すれば、並の人間なら耐えられまい。ラミロはもう逃れられない。


目が慣れてきて闇の中でもラミロが螺旋階段を駆け上がる姿を捉えることができた。すると、ラミロが踊り場で急に立ち止まり、こちらを見下ろしている。我々を迎え撃つのか。佐分利が立ち止まり、私とマリアも足を止めた。荒い呼吸音だけが先のすぼまった尖塔内に響き渡っていた。ラミロの手に茶封筒はなかった。畳んで懐のポケットにでも隠したのだろう。


佐分利が螺旋階段の手摺り越しに左上のラミロに言い放った。

「もう逃げられないな」

その声の響きが終わるか終わらないかのうちに、ラミロは鐘楼の鐘を響かせるための穴の一つに飛びつき、スルスルと体を外へ摺り抜けた。塔から身を投げたのか。私は茫然と息を呑んでいたが、佐分利はすぐに踊り場まで駆け上がり、今さっきラミロが消えて行った穴に上半身を入れた。

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