日本語教育・日本語そして日本についても考えてみたい(その2)

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バルセロナから(2018年2月21日<その2>) : 「同じい本」「同じの本」「同じな本」?(考察2: 日本語教師の悦び)

バルセロナから(2018年2月21日<その2>) : 「同じい本」「同じの本」「同じな本」?(考察2: 日本語教師の悦び)


「同じ」は文語ではシク活用の形容詞で、現代語(口語)としては「すさまじい」「ひもじい」という言葉から類推すると「同じ」の終止形(と連体形)は「同じい」になるはずだが、その「同じい」が現在ではほとんど使われず、連用形のうち「彼と【同じく】学生だ」の用法だけが辛うじて残っている。


現代語としての「同じ」の終止形は形容動詞(ナ形容詞)「同じだ」になっている。

形容詞としての「同じい本」でも形容動詞としての「同じな本」でも「同じの本」でもない「同じ本」は、これまた特異である。

これは「同じ」が連体詞の顔をしている。


「同じが」とか「同じを」と言えないのだから、名詞とは言えないだろう、と考えると、それでは形容動詞としてなぜ「同じな本」と言えないのか、という疑問にぶつかる。


「同じ」の連体形(名詞に係る形)は「な」の付かない変則的な活用をしてそのまま「同じ」という形になる。


こうして見ると、現代語としての「同じ」は形容詞(イ形容詞)も混ざった形容動詞(ナ形容詞)の変則種だということが分かる。


いずれにしても、この「同じ」という特異な日本語について改めて考えたのは、日本語クラスの学生の「なぜ【同じの本】と言えないのか?」という質問に"ある種の衝撃"を受けたからである。日本語教師の悦びがここにある、とも言える。

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