バルセロナから(2018年1月19日) : 1990年「南米ひとり旅」パラグアイ、真夏のアスンシオンに「幼き日の雪の幻想」を見た <写真: イグアスの滝>
バルセロナから(2018年1月19日) : 1990年「南米ひとり旅」パラグアイ、真夏のアスンシオンに「幼き日の雪の幻想」を見た <写真: イグアスの滝>
三日も四十度を超える日が続き、その日も朝からうんざりするような暑さだった。
パラグアイに入ってから最初の日曜日だった。私は遅い朝食のあと、宿の前のベンチに上半身裸で座っていた。つい数日前までいた隣国のボリビアと何という違いだろう。ボリビアでは氷までも降ったのだ。ここでは誰もが日陰を探す。
ちょうど木陰になり、老いぼれた雌犬さえも、この古びた赤ベンチの下を休息の場としているらしい。その黒い雌犬は、左の一番前の乳首が半ば食いちぎられ、赤く垂れ下がっている。おぼつかない足取りで私の足元をすり抜け、ベンチの下に潜り込んだきり、動こうとしない。
風がない。一向に読み進まない古本で扇いでみたが、生温かい何かが私の鼻先をひと撫でしただけだ。私は地元の人がそうするように、ボンビージャという管で冷たいマテ茶を吸いながら、終日この赤いベンチで時間を潰そうと決めていた。
涼を求めるにも、まったくの内陸の、ここパラグアイには川と湖しかない。昨日その湖へ行ってみたが、澱んだ水にひととき身体を浸すために遠くまで車を飛ばさなければならない。明日にはもうパラグアイを出てブラジルのフォス・ド・イグアスに行くつもりだ。その規模世界一と言うイグアスの滝で涼をとろう。
赤ベンチの前はタクシー乗り場になっている。だが、客の数よりも休憩しに来るタクシーの数のほうが多いのは明らかだ。運転手たちは、一点の雲も見当たらない空を恨めし気に見上げて、もう一つのベンチに腰を下ろした。
やがて彼らは道路側に備えてある物入れの中からボンビージャを取り出して、マテ茶を回し飲みし始めた。
うだるような暑さで、アスファルトの道路は歪んで見える。そこに灼(や)きつけるような日差しが反射している。その銀色に映える様子は、一瞬、雪道かと錯覚させる。今は一月で、日本ではちょうど真冬だ。
大型トラックが目の前を通り過ぎ、私の視界の左隅に、道路の向こう側のカフェテリアから出て来た子供が映った。こちら側のベンチに座っている運転手たちに何やら合図をしている。右手に白い棒のような物を提げて、何か叫んでいる。どうやら、マテ茶用の氷を買いに行かされたようだ。
その子供が白く光る道を小走りに渡って来たとき、私は、あっと思った。これと同じ光景をどこかで見たことがある……いや、あの子供がこの私だ。
あの日、幼い私は、広い道を挟んで自分の家の反対側で遊んでいた。雪にまみれて遊んでいた私は、しかし、近所の大人たちの様子で、母に何か大変なことが起きたと直感した。
遊びに使っていた氷柱(つらら)を片手に握ったまま、幼い私は白い息を吐きながらその銀色に輝く雪道を走って渡って行ったのだった。
私が駆け付けたとき、母は家の近くの真新しい雪の上に仰向けに倒れていた。ひとときの休みを愛おしむように。いかにも気持ちよさそうに倒れていた。
過労だった。女手ひとつで四人の子供を育ててきた戦争のような毎日から、いっときの休息をしたのだ。
私は、その子供が道を渡り終えるのを見届けてから、小さく吐息をついて、また古本を読み始めた。日暮れまでは、まだたっぷり時間がある。
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写真は、パラグアイからブラジルに入り、規模・水量世界一の大瀑布「イグアスの滝」にて。