日本語教育・日本語そして日本についても考えてみたい(その2)

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バルセロナから(2018年1月16日) : 1990年「南米ひとり旅」ペルー、クスコへの列車内にて「日本人」というアイデンティティの衝動に戸惑う

バルセロナから(2018年1月16日) : 1990年「南米ひとり旅」ペルー、クスコへの列車内にて「日本人」というアイデンティティの衝動に戸惑う


マチュピチュの遺跡を堪能した日の午後、アグアス・カリエンテスの例の温泉でもう一風呂浴びてから、クスコ行きの汽車に乗った。プリメラ・クラセ(一等席)とは名ばかりで、すでに座席はなかった。


車内は各駅ごとに混んできたが、地元の人たちの飾らない会話が耳を楽しませてくれた。私は、言わば温泉付きのインカ遺跡を堪能したわけで、気分の悪いはずはなかった。


 オジャンタイタンボもとっくに過ぎた辺りで、乗客たちも疲れてきたのか、時折り車内の会話も途切れるようになった。立っていた者は荷物を椅子代わりにして座りだした。


そのうち、「チノ、チノ」という囁きが私の耳に入って来た。私を横目で指しながら言っているのである。またか、と思ったが、その時は別に気にならなかった。


ところが、もう一度その囁きが聞こえた時、私は妙にいらいらしてきているのが自分でも分かった。思わず、その声のほうを向いて、「日本人だよ」と口から出てしまった。こんなことにいちいち反応する自分ではないはずなのに。


中国は日本の父であり母である。その同じアジアの仲間に間違えられて腹を立てることもあるまい。と、自分に言い聞かせる方法も、この時の私にはまるで効果がなかった。自分の中に意外な衝動が膨らんでいた。


私から少し離れて立っていた数人の口から「チノ、チノ…」とまた聞こえてきたとき、一瞬、間をおいて、私は大きな声で怒鳴っていた。


 「日本人だと言っているのが分からないのか!」
 車両内の誰もが息を呑んで私を見つめた。


気まずい沈黙が流れる中、私はすぐそばの席に座っていた家族連れの男に促されて、自分のバッグの上に腰かけ、男の勧める小さなカップ一杯のビノ(ワイン)を飲み干した。
男は、私の肩に手を置いて、顔全体で私に悪戯っぽく目配せをした。


写真は私の郷里である札幌。冬の大通公園からテレビ塔を望む。白い札幌は無国籍の匂いがする。



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