日本語教育・日本語そして日本についても考えてみたい(その2)

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バルセロナから(2018年1月12日) : 1990年「南米ひとり旅」ペルー、リマでのグラシャス (ありがとう)の思い出

バルセロナから(2018年1月12日) : 1990年「南米ひとり旅」ペルー、リマでのグラシャス (ありがとう)の思い出



1990年1月にメキシコシティを飛び立った私は、まずペルーの首都リマに到着した。


リマの商店街の一角にある、小ぢんまりとした定食屋に私はよく行った。1ドル足らずで、食べきれないほどの量が出された。



慢性的なインフレで地元の人々の暮らしは逼迫していた。私の昼食は質素なものだったが、それでも、通路に面した私のテーブルには、幾つかの羨望の眼差しが注がれた。



その日、私は食が進まず、定食を半分以上も残してしまった。コーヒーを飲み、勘定を払おうとして立った、その時である。


  


 「それ、食べないのですか?」という弱々しいスペイン語が私の耳に入って来た。いつの間にか、私のすぐ横にほっそりとした青年が立っていた。思わず、その青年の足元から頭の先まで目を移してしまった。ごく普通のペルーの青年である。ズボンにはきちんとプレスの線が入っていた。南米を一人旅していた私より、よほど小ざっぱりとした服装だった。



 「欲しいと言っているよ」店の人が私を促した。


 「ええ、いいですよ」私は青年のほうを見ないで言った。



すると青年は、遠慮がちに私の食べ残した野菜炒めをライスの皿に移し、私の使ったフォークとナイフで、それをゆっくりと掻き回した。


そして、ライスと野菜炒めがほどよく混ざったところで、それをおもむろに口に入れ始めた。千年の至福を味わうように。


 私も青年も立ったまま、その特別な時間を共有していた。



 私は、我に返ったように、ぎくしゃくとした動きで勘定を払った。そして定食屋を出るために、青年の横の狭い通路を気まずい感じで通り抜けた。


その時、私の残飯を立ちながら食べ続けていた青年がわずかにフォークを持つ手を止めた。


 私の背後から、幽かに「グラシャス(ありがとう)」という声が聞こえた。



 写真は、すっかり南米スタイルに溶け込んだ極東からの旅人。

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