日本語教育・日本語そして日本についても考えてみたい(その2)

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バルセロナから(2018年10月10、11日) : 日本語の変化と自律性を想う

#スペイン #バルセロナ #日本語 #「を」の発音 #人形浄瑠璃


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バルセロナから(2018年10月10、11日) : 日本語の変化と自律性を想う


けっこう前からの兆候だが、日本語を独学で勉強して来たり、他の学校から私の所に来た日本語学習者の、「を」の発音が「ウォ」になっている割合が最近とみに増加して来ているような気がする。


前回述べたように、「を」の発音は現代ではもちろん「お」と同じ「オ」なのだが、一旦癖になってしまった「ウォ」の発音はそう簡単には抜け切れない。


前の日本語の先生から

「を」の発音は「ウォ」だと教えられた、と聞くこともしばしばで、もう驚きもしなくなった。


私の所へ来た日本語学習者には、ふむ、そうか、少しずつ直っていってくれればいい、と根気良く付き合う。


この問題をネットで調べてみると、やはり恰好の日本語ネタになっていて、じつに 喧(かまびす)しい。


そのネットで私がかつて「ことば会議」に参加していた頃に覚えのあった「道浦俊彦とっておきの話」というサイトでこの問題を扱っていたので次に紹介したい。


《ことばの話「『を』の発音」 新人アナウンサーの小林杏奈さん。現在、一生懸命研修中です。先日、初めて私が「先生」を務めました。発音を聞いていて、「あれ?」と思ったのは、彼女は「を」を、「ウォ」と発音していたのです。

「『を』と『お』は同じ発音だよ。」

と言うと

「そうなんですかあ、わかりました!」

と元気の良い返事。でもそのあともやっぱり「ウォ」と言っています。これはきっと昔から癖になっているんだ、と思った時に、「もしや・・・」と感じ、その日、いつも教えに行っているアナウンス学校に行くと、生徒の独りが小林アナと同じように、「を」を「ウォ」と発音しているではありませんか!

念のため、そのクラスの生徒18人に聞いたところ、4人が「『を』と『お』の発音は区別している」と答えたのです!年齢は17歳から23歳。その中の一人は、

「小学校の時の先生が、「"を"と"お"の発音は違うと教えてくれて、それ以来、区別している」と答えました。

翌日、今度は神戸の女子短大で講義をした時に、そのクラスの一年生(18、9歳)11人に聞いたところ、2人が「『を』と『お』の発音を区別している」と答えました。全部トータルすると、30人中7人、ほぼ4人に1人の23,3%もいるのです。

これはいったいどうしたことなのでしょうか?

もちろん、昔は「わ行」である「を」と「あ行」の「お」は表記が違うのと同じように発音も違ったでしょうが、現代の国語教育の中で、その発音を区別して教えているとは思えません。鼻濁音も教えていないんだし。

理由として考えられることは、

(1) 外国語の発音になじんだ若い子が、「ウォ」という発音を外国語から学んだ。 (2) ワープロを打つ時に、ローマ字入力だと「を」は「WO」とキーを打つので、「を」の発音は「WO」だと思ってしまった。

というようなことが考えられます。他にも原因はあるかも知れません。もしかしたら、方言の発音で現在も「を」を「ウォ」と発音しているのかもしれません。

アナウンサーの中でも、少し前から「シ」を「スィ」としか発音できない人も出てきています。少なくともアナウンサーにとって、これは問題です。

もしかしてもしかしたら、顔の骨格、顎の形などに変化が起きてきているのかもしれません。それは教育の問題ではなくて、食生活の問題と言えるでしょう。「を」は、顎の形とは関係ないと思うけど。 果たして小林アナは、テレビデビューまでにちゃんと「を」を「オ」と発音できるようになるか?ちょっと気になる現状なのです。》


「を」が「お」と異なる「ウォ」の発音として現代が奈良時代に先祖返りするスキがそこかしこに転がっていることが見て取れる。


言葉に変化はつきものだが、変化の必然性からではなく、単なる惰性からの変化は日本語の自律性に寄与しない。


写真は、文楽の人形とのツーショット。今夏の日本での旅で四国徳島の人形浄瑠璃を堪能した。

世界に誇るべき日本の古典芸能だが、私の隣で、心なしか、寂しげな白い顔。

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